長きに渡り、芸能界の一線で活躍し続けているタモリこと森田一義。
タモリの若い頃は、現在とは違い・・・職を転々とするフラフラ風来坊だった事が明らかになりました。その真相について詳しく見ていきましょう。
更に、タモリの『驚きの素顔』と『サングラスをかけるようになった理由』についても徹底深掘りしていきたいと思います。
では、張り切って見ていきましょう!!
Contents
タモリのプロフィール
本名:森田一義
生年月日:1945年8月22日
出身地:福岡県福岡市南区市崎
血液型:O型
身長:161cm
若い頃は職を転々とする風来坊だった!?
タモリの若い頃について調査してみると・・・現在の印象とはかけ離れた、職を転々とする『フラフラ風来坊』だった事が明らかになりました。
その真相について詳しく見ていきましょう!!
職歴が凄い!?エリート営業マンだった過去もあるが長続きしない風来坊だった!?
タモリの若い頃について調査してみると・・・『早稲田大学』に進学しており、ジャズ研究会に所属していました。
タモリは当初、トランペットを吹いていましたが・・・元々、しゃべりが上手かった事もありマネージャー兼コンサートの司会を担当していたといいます。
そんなタモリですが・・・学費未納の為、大学を除籍になってしまいましたが・・・ジャズ研究会は続けていました。
それには、理由があり・・・ジャズ研究会は、演奏旅行を定期的に行なっていたようで、相当高いギャラを得ていたといいます。
当時、大学新卒の初任給は、『2万円』程度だったようですが・・・夏の演奏旅行では、月に『30万〜40万円』の収入があり、毎晩飲み歩き豪遊出来る程の収入を得ていたそうです。
それだけ稼げるならば・・・定職に就く必要性を感じないのも無理はありませんね・・・(汗)
そんな日々を送っていましたが・・・タモリの祖母が亡くなった事をきっかけに、地元・福岡に呼び戻され・・・『朝日生命』の保険営業マンに強制的にさせられたようです・・・(笑)
元々、器用だったタモリは保険営業マンとしても優秀な営業成績を収めていたようで・・・社内で開催された『優秀者招待旅行コンクール』でも入賞するなど華々しい活躍をしていたと当時の上司が証言していました。
ですが、当の本人であるタモリは営業マン時代を振り返り、『ベラベラと喋るから信用されずにダメだった』と自分自身を過小評価していたようです。
保険会社で4年程勤めましたが退職に至り、その後は早稲田大学時代の先輩が経営する旅行会社『日田観光会館』に転職し、傘下にあった『ボーリング場の支配人』となりました。
当時、ボーリングがブームでしたが・・・やがてブームが去った後は、またも転職しフルーツパーラー『サンフレッシュ』で働くようになりました。 そこで働いている当時、客からの注文を逆さに言ったり、略語にしたりして評判を呼び、『おかしな面白い店員がいる』と話題になったそうです。
その後も、様々な職を転々としていたようで・・・喫茶店、ガードマンやヘビ使い、驚くべき事にヌードモデルまでやっていたようです・・・(笑)
そんなタモリが芸能界デビューに至ったきっかけについても詳しく見ていきましょう!!
タモリの芸能界デビューのきっかけは『赤塚不二夫』が関係している!?
タモリは、職を転々としながらもジャズ研究会で培ってきた喋りの技術を武器に、月一で上京し素人ながら芸人として活動していました。
現在で言うところのピン芸人のような立場で、様々な場所でネタを披露していたようです。
そんな生活を送る中で転機になる出会いがありました。それは、漫画家である『赤塚不二夫』との出会いでした。(赤塚不二夫は、『天才バカボン』などで人気を博した有名漫画家です。)
偶然、タモリの芸を見た赤塚不二夫がタモリに惚れ込み、『タモリの芸をもっと見たい!福岡に帰すのは勿体無い!』とラブコールを送ったといいます。
赤塚不二夫の惚れ込み具合は、かなりのものだったようで・・・赤塚不二夫の『4LDKのマンション』、『ベンツ』を自由に使用していいと条件で東京に残るように懇願してきたといいます。
これは転機だと思ったタモリは、福岡から上京する決断をし、完全に退路を絶ちました!!
そこからタモリの芸能人生がスタートし一躍スターになり・・・長きに渡り一線で走り続ける存在になりました。
今でこそ、タモリの独特な雰囲気は視聴者の心を掴んでいますが・・・芸人として駆け出しの頃は、とんでもなくヤバい存在だったようです・・・。次は、その点について見ていきましょう!!
タモリの芸風は『放送禁止コード』ぎりぎり過ぎて危険人物だった!?
タモリの芸能界デビューは、遅咲きで30歳でしたが・・・駆け出しの頃の芸風は、かなり過激で『放送禁止コード』ぎりぎりのデンジャラース芸人だったようです。
- イグアナのモノマネ
- デタラメなハナモゲラ語
- デタラメな中国語
現在もやっている『デタラメな中国語』は、デビュー当時から十八番だったようです・・・(笑)
上に挙げたような芸でしたら、特に問題は無さそうですが・・・タモリがデンジャラースな人物といわれたのにはきっかけがあったようです。 タモリは、皇族に対して『おち○ち○って知ってますか?』と爆弾発言をして、周りをざわつかせた事があるようです・・・なかなか、製作側からしたらデンジャラースですよね・・・(汗)
何をするか予測不能と考えると危険人物でしかありませんね・・・(笑)
その当時の危険な匂いは、現在のタモリからは感じられませんね・・・やはり、歳を重ねて丸くなったのでしょうか?(笑)
タモリがサングラスをする理由がヤバい!?
タモリがサングラスをするようになったきっかけに関して、様々な説があるようです!!その真相についても、詳しく見ていきましょう。
サングラスの理由① 顔が地味で特徴が無いから
タモリが素顔を見せない理由は一体どうしてなのでしょうか?その点について調査してみると・・・どうやら、素顔が『地味過ぎる』というのがサングラスをかけるきっかけだったようです。
デビュー当時、素顔にあまりにも特徴がない為・・・当時のマネージャーにサングラスをかけるように言われた事がきっかけで、現在はトレードマークになりました。
どれ程、地味だったのかが気になりますね・・・(笑)気になるタモリの『地味過ぎる素顔』についても詳しく見ていきましょう!!
たしかに・・・この素顔でテレビに出ていても印象に残らないですね・・・タモリと言えば『サングラス』という印象が強いですよね・・・(笑)
サングラスの理由② 義眼だから!?
タモリがサングラスをかけるようになったのは『失明して義眼』だからだといわれています。
どうやら失明したのは真実のようです。タモリが小学校4年生だった頃、遠足で友人と遊んでいた時に・・・たまたま電柱のワイヤーが右目に刺さり・・・失明してしまったといいます。
治療に専念したようですが・・・残念ながら視力が回復する事はなかったようです・・・(汗)
ですが、義眼だからサングラスをかけるようになったというのは・・・真実ではないと考えられます。芸能界デビュー当時は、素顔で活動していた事を考えると・・・義眼を隠す為にサングラスをかけたわけではない事は明らかです!!
タモリなりのコンプレックスではあると思いますが、きちんと乗り越えて自分と向き合ったからこそ素顔で戦おうと思ったとも考えられます。
サングラスをかけるようになった真相は、『顔の地味さ』が関係していると結論付けられます!!
まとめ
・タモリの若い頃は職を転々としていたが様々な分野で才能を発揮し、器用に世の中を渡ってきた事が判明!!
・タモリの芸能界デビューのきっかけは漫画家の赤塚不二夫が関係していた事が判明!!赤塚不二夫がタモリの芸に惚れ込んだ事で、タモリは上京し芸人になる決断をした!!
・タモリがサングラスをかけるようになったのは、素顔が地味で特徴が無かったからと判明!!失明し義眼になった悲しい過去を持っているが、サングラスをかけるようになった直接的な理由ではないと考えられる!!
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