ダンディーな姿とは裏腹に、適当男として人気を不動のものにしている高田純次。
高田純次の嫁・勢子は、下積み時代を陰ながら献身的に支えたと言われています。まさに『あげまん』と称賛され、涙腺崩壊レベルのようです。
今回は、そんな高田純次の嫁・勢子の『素性』、そして『献身的な妻としての一面』を徹底的に深掘りしていきたいと思います。更に、子供についても徹底調査していきます。
では、張り切って見ていきましょう!!
Contents
嫁・勢子は『日本舞踊師範』のクールビューティーと判明!
高田純次の嫁について調査してみると・・・『勢子』という一般人女性である事が判明しました。
嫁の素性について詳しく深掘りしていきたいと思います。まずは、気になる顔写真を見ていきましょう!!
気になる顔写真公開!美人過ぎると話題に!?
嫁・勢子の現在の姿は・・・残念ながら見当たりませんでしたが、若い頃にCMに出演した際の一枚がありました!!
時代を感じますが、キリッとした顔立ちのクールビューティーである事がうかがえます。女優の『天海祐希』のような顔立ちで、芯のある強い女性だと感じます。
この写真は、花王『ソフトワンダフル』のCMに高田純次の一家で出演した際に撮られたものだといいます。
当時は一般人と言えど・・・家族全員がCMに出る事もあったんですね・・・ある意味、すごい時代と感じてしまいます・・・(汗)
年齢については、高田純次の1歳年下という事が明らかになっています。
職業は『日本舞踊師範』という事も明らかに!
嫁・勢子の職業についても調査してみると・・・『日本舞踊の師範』をしていると言われています。
日本舞踊の師範をするには、日本舞踊が専門で学べる大学に通い、免許を取得する事で指導、育成が出来るようになるそうです。
師範になるには、流派により独自の師範試験の制度があり、およそ10年程度でなれると言われています。
師範になった後も、家元に師範料を納める必要があり・・・相場で20〜50万円程度のようです。年会費もあり、1〜数万円を収める必要があるそうです。
師範になったからと言って・・・それだけで生活が出来るわけではないようです。実情は、兼業で行う方が多いようで・・・やはり厳しい世界だと言われています。
嫁・勢子が、どの程度の活動をしているかなどは明らかにされていませんでした。
馴れ初めと下積み時代を支えた勢子に涙腺崩壊!?
では、高田純次と勢子の馴れ初めについても詳しく見ていきましょう。勢子の下積み時代を支える姿が、なんとも健気で涙腺が崩壊してしまうと言われています。
詳しくみていきたいと思います。
2人の出会いは『劇団』の可能性が濃厚!?
2人の出会いは、公には明かされていませんでしたが、一説では高田純次が所属していた劇団にいたのが勢子だったと言われています。
同じ劇団、芝居仲間なら自ずと仲が深まり・・・交際に発展する可能性は十分に考えられます。劇団などは、狭い世界ですから・・・劇団内で恋愛、結婚に発展する事があるそうです。
高田純次の勢子を想うウブな気持ちにキュン!
高田純次は、ブレイクする前は劇団員として活動をしていました。(役者になろうとしたきっかけなどは、後述します。)
生活する為にアルバイトをしていた頃、アルバイト先のロッカーに1万円を置いていたようですが・・・盗難に遭ってしまったようです。
当時、勢子と結婚をしており・・・ささやかなプレゼントをしようと準備したなけなしの1万円だったといい・・・
アルバイト先の仲間に涙ながらに・・・
『妻にクリスマスプレゼントを買うための1万円なんです・・・。犯人なんて探さないので・・・僕がしばらく出ている間に戻してください・・・』
このように訴えかけたところ、1万円がロッカーに戻ってきたそうです。勢子を想う気持ちが伝わったのではないでしょうか?
愛する人の為に、涙を流せる高田純次は本当に素晴らしいと感じます。キュンとしてしまった方も多いのではないでしょうか?
高田純次が役者を目指したきっかけは?
では、高田純次が役者を目指そうとしたきっかけは、一体なんだったのでしょうか?
高田純次は、高校卒業後デザイナー学校に進学しましたが・・・自由劇場の舞台を見て刺激を受け、劇団の研究生として生活をしていました。
ですが、次第に自身の才能の限界を知り・・・当時、同棲生活をしていた勢子と結婚する決心を固めました。
そして、宝石卸会社『トキモト』のサラリーマンとして第二の人生を歩み始めました。そこで頑張りが認められ、2年で役職が付くほどの出世を果たしました。
そんな中、柄本明やベンガルが立ち上げた劇団『東京乾電池』に誘われたようですが・・・1度は断ったようです。
ですが・・・偶然、新宿の居酒屋で鉢合わせ、劇団の仲間が演劇論に花を咲かせている姿を見て・・・高田純次は、『自分の人生このままで良いのか』と真剣に悩んだといいます。
娘が産まれ・・・仕事も順調に進み、収入も安定している中、30歳になり・・・突然、仕事を辞め芝居の世界に戻る決断をしました。安定をかなぐり捨てて、不安定な世界に身を投じた事で・・・厳しい下積み時代が訪れました。
ここから、勢子の献身的な支えが始まったようです。その点についても、詳しく見ていきましょう!!
下積み時代を支えた勢子に脱帽間違いなし!
突然、サラリーマンを辞め、高田純次は劇団『東京乾電池』に入団しましたが・・・当時、貯金が200万円あったそうで、それを切り崩しながら生活していました。
サラリーマンを辞めた事を勢子に伝えると・・・泣いてしまい、取り乱していたようですが・・・最後には『仕方ない・・・』と覚悟を決めたといいます。
高田純次は、朝から夕方まで劇団の稽古をし・・・その後、徹夜で働き・・・朝6時に家に戻り、11時まで寝て稽古に行くという日々を過ごしたそうです。
200万円あった貯金も・・・気付けば、5万円程度にまで減り・・・厳しい生活をしていました。
そんな生活を陰ながら支えたのは、間違いなく勢子であり・・・内助の功で高田純次は芸能界で活躍出来るようになったと考えられます。素晴らしい女性で泣けてきますね・・・。
高田純次は、とあるインタビューで『こればかりはありがたいって思っていますよ』と勢子への感謝の気持ちを明かしています。
2人の間には子供が2人いる事が判明!
高田純次と勢子の間には、子供が2人いる事が判明しました。
2人とも娘のようで・・・娘達もアーティスティックな生き方をしていると話題になっています。その点について詳しく見ていきましょう!!
長女・高田祐子はファッションデザイナーだった事が判明!
高田純次の長女である高田祐子は、1976年に誕生しました。
職業について調査してみると、『ファッションデザイナー』として活躍している事が判明しました。ファッションを学ぶ為にロンドンに留学し、その後に『TAGE(タージュ)』という自身のブランドを立ち上げ、デザイナーを務めている事も明らかになっています。
『TAGE(タージュ)』のコンセプトは、
- 「MINIMALISM」コントラストが特徴のシンプルな表現
- 「FUNCTIONAL」ボディの動きに寄りそうパターン
- 「CLEAN」洗練されたディテールとクリーンなシルエット
デザインに関しては、不規則な変化やカラーコンビネーション、切り替えテクニック 、コントラストが特徴のシンプルな表現を基本としています。
高田祐子は、自身のブランド活動以外にもアパレル企業や百貨店へのデザイン提供活動、ソーイングブックの執筆活動、それだけに留まらず公益財団法人 日本ユニフォームセンター・NUC専門委員としても活動しています。
かなり活動分野が多岐に渡っており、敏腕なキャリアウーマンであると考えられます。
次女の素性は謎に包まれている!?
高田純次の次女に関しては、情報がほとんど明かされていませんでした。
1979年生まれで・・・銅版画作家として活動していると言われています。現在は結婚しており、子供もいるという情報もあります。
次女に関しては、続報があれば随時追記していきたいと思います。
まとめ
・高田純次の嫁は『勢子』という一般人女性である事が判明!キリッとした顔立ちでクールビューティーであり、日本舞踊の師範をしている事も明らかになった。
・高田純次と勢子の出会いは明かされておらず・・・一説では『劇団』だったと言われている。
・結婚後、高田純次は役者の夢を諦めサラリーマンに転身していた事が判明!!ですが、柄本明やベンガルが立ち上げた劇団『東京乾電池』に誘われ・・・30歳を機に、突然仕事を辞め役者の道に戻った。
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